2011年05月29日

楽しくもせつない思い出

昔文鳥を飼っていました。
どんな経緯で家に来たかは・・・小さかったから覚えていない。

「ぴーちゃん」何てありきたりなまでも、かわいい名前を付けて、本当に可愛がった。
雛の頃だから、柔らかいえさを口に運んで、目も見えてないようなその小さな小さな生命がもの凄く「重く」感じたのを覚えています。

それからピーちゃんはすくすく大きくなり、部屋の中では放し飼い、呼べば飛んできて、自分の肩に乗り、唇の端をつつく。
気分転換にベランダの物干しさおに「かご」ごと吊るしておくと、野良猫に襲われたりした事もありましたが、無事だった。

そんなぴーちゃんがとある朝冷たくなってかごの中で倒れていた。
もの凄くショックだったことは覚えている・・・。
何か急に思い出した「ぴーちゃん」との思い出でした。
posted by ごろ at 12:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神になるということ

少女たちの神になるということは、どういうことなのか、ちょっと考えてみましょう。
まず、家出少女たちの神になるということは、その少女たちに泊まるところを与え、お腹がすいているなら食事させ、面倒をみるということになります。
たとえそれが短い間でも、神は少女たちの心のよりどころになるということになります。
そこで、案外思い込んでしまう場合が多いことがあります。
それは、少女たちに心をいれ込み過ぎてしまうということ。
神待ちをする少女達は確かに、養ってくれる男性を求めているのですが、神を恋愛対象にしているわけではありません。
一緒に過ごす時間が多くなればなるほど、男性の方が心を入れ過ぎてしまい、恋愛として認識してしまうことが多いようですが、あくまでも「救済」です。
お互いの生活を崩すようなスタンスでは少女と神の関係は続きません。
posted by ごろ at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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